itti(イッチ)の部屋

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『オレンジタウン』残響のひかり。03


  その日、いつもの様に事務所の机に貼りついて仕事をしていた僕は、ふと、デスクの引き出しが振動している事に気づいた。
微かに肘の辺りに伝わる振動で、引き出しに仕舞った携帯が受信しているのが分かる。


「・・・はい、津田です。」


電話の相手の名前を見たら、少し動悸がして小声になった。


「どうも、神谷です。昨日は大丈夫でしたか?」


声の主は、昨日僕が追突しかけた相手、神谷孝輔さんだったが、僕の事を心配してくれる言葉をもらうと、むしろ僕の方が気遣わなきゃいけないのに、配慮が足りなかった自分を反省する。


「あの、僕は大丈夫です。神谷さんの方こそ、どこもなんともありませんか?むち打ち症とか後になって痛んだりするらしいし・・・・。」
僕は心配に思って聞いてみた。
なのに、電話の向こうの神谷さんは、「ははは、」と笑っている。


「え?・・・」
僕が驚くと、半分笑いながら神谷さんが話を続ける。


「人が良すぎですよ、津田さんは。・・・そんな事言って、俺、痛いトコあるんですけど、なんとかしてくれるんですか?」


「ええ?!どこを痛めたんです?やっぱり首ですか。急にブレーキ踏んでむち打ちになったんじゃ・・・・。」
焦って聞くが、急に返事をしなくなって、余計に僕は心配になった。



「今夜、7時に会えますか?その時話します。場所は後で又連絡するんで。・・・じゃあ。」


「え!・・・あ、あの・・・・」
一方的に電話を切られてしまい、会えますかと聞いたわりに僕の返事は無視。
あれは呼び出しじゃないか・・・・・。



「どうかしました?」


「え?」


隣の席の同僚が、僕の顔を覗きこむ様にして聞いてくる。
ちょっと動悸がしたせいで、冷汗が出ているのを悟られたんだろうか、きっと顔つきも変だったんだろう。


「いえ、なんでもありません。大丈夫ですから・・・有難うございます。」
軽くお辞儀をすると、携帯を引き出しに仕舞う。
それから、目の前のパソコンに数字を入れながら、少しずつ胸の鼓動が静かになるのを待った。




- - - 



夕方の5時をまわり、まだ入力作業が残っていた僕は、事務所の壁掛け時計に目をやる。


7時って言ってたな・・・・。
これは、あと1時間はかかる。どうしよう・・・・・・。


取り敢えず引き出しの中の携帯を手元に置き、見えるようにしておいた。
もしも電話がかかってきたら、僕の仕事が終わらないと伝えよう。それから、痛い所は病院へ行って診てもらうように話そうと思った。




僕は、企業の労務関係の事務処理をする、’社会保険労務士事務所’に勤めていた。


大学を出てから6年。
ここの所長は僕の伯父さんで、父と離婚した母親が僕の就職を心配して進めてくれたのだった。


昔から、周りの人と距離を取ってしまう僕は、自分から商品を売り込む営業なんかには向かなくて。
どうしたって事務畑。しかも、クライアントはすでに確保されていて、僕は与えられた処理をすればいいだけだ。



あの〔神谷〕と言う人は、僕とはまるで正反対の性格みたいで。


身なりや体格もだけど、話す言葉使いも堂々としている。
自分の事を’俺’と言うのは、友人相手ならそうだろうけど、初対面ではなかなか言えない。


余程、僕を年下と思っているのか、見下しているのか・・・・・。
どちらにしても、僕にとっては気持ちが休まる相手ではないと思った。


もう一度携帯に目をやると、また動悸がしてきそうで、慌ててパソコンのキーボードに視線を移す。




『オレンジタウン』残響のひかり。02


 神谷さんという人は、僕の携帯番号を聞いただけで、特に文句をいう訳でもなくあっさりと帰ってしまった。


僕は自宅へ戻ると、あの後神谷さんから連絡があったか携帯を確認するが、何の通知もないまま。


いつもの様にシャワーを浴びると、冷蔵庫からビールを取り出して一口飲んだ。
それから、ありあわせの材料で夕食を作る。料理は得意、というか慣れていた。


小学5年生の家庭科で簡単な料理を覚えて以来、中学生になるころにはそこそこの料理ができるようになっていて、文化部だった僕は、帰りの遅い母親に変わって晩御飯を作っていたぐらいだ。
いいのか悪いのか、それがもとで、母親は仕事人間になってしまい、父親と離婚してしまうことになる。
高校1年の時には、僕は父親と二人暮らしをすることとなった。



結局、すべての元凶はこの僕だ。


周りの人が不幸になるのは、僕がいるからだと、いつの頃からか思うようになってしまった。
そして今日も・・・・・。
下手したら、あの神谷さんの命を奪っていたかもしれない。



今夜も僕は、観ても笑えないテレビを点けて、ビールを飲みながら料理に箸をつける。
毎日の習慣で、心はなくても同じ行動を繰り返すことで、人は生きていける。


高校を卒業して、6畳一間のアパートに暮らすのも10年目。
その間に、ここへ来た友人は、ほんの数えるほど。10本の指で足りるくらいだろう。


こんな僕にも、声をかけてくれる女性はいたけど、結局は2ヶ月も経たないうちに離れて行ってしまう。
人を喜ばせる事が出来ない僕は、本当につまらない人間なんだろうな・・・・・。



今日もまた、一日が終わる。
昔の光景を思い出してビックリしたけど、事故にはならなくて、また命拾いをしたみたいだ。
スプリングのきしむベッドに潜り込むと、枕もとに置いた携帯に手を伸ばす。
布団の中で、もう一度着信通知がないか確かめてみた。


いちいちそんなことをしなくても、音量を上げておけばいいんだけど、僕は突然大きな音が鳴ってビクッとなるのがイヤだった。心臓が止まりそうになるほど驚く自分もおかしいんだけど、こればかりは治らない。
仕事でも、着信通知を知って後から掛け直していることで、同僚に文句を言われることもある。
それでも、僕の電話嫌いは有名になってしまって、最近では大目に見てくれる人もいる様だった。。


僕は、神谷さんからの電話が入っていないのを確かめると、ホッと胸を撫でおろして眠りにつく。




- - - 


いつもの朝、僕の朝食はバナナを一本とヨーグルトだけ。


なんだか女の子の朝食みたいだけど、今のところ、これが一番体に合っている。
一人暮らしの難点は、病気になっても誰も看てくれる人がいないという事。
自分の体調管理はしておかないと、結局自分にかえってきて泣く羽目になる。


そんな事の繰り返しで、いつもの様にアパートの駐車場に停めた車へ乗り込んで会社へと向かう。


今日も、何の変哲もない一日が始まって終わる予定だった。


・・・・彼からの電話をもらうまでは。




『オレンジタウン』残響のひかり。01

こちらはpixiv小説に投稿した作品になります





 それは、夏が終わったというのに、日差しが眩しい夕暮れ時の事だった。


真正面から西日を受けて、目を細めながら車を運転して帰る途中。


河川敷に咲くすすきの間から、小学校の運動場が見えると、ジャングルジムが目に入ってきた。
その時、オレンジ色の光に覆われた鉄の塊は、僕の脳裏に焼き付いて離れない光景を蘇らせる。


思い出す事を拒否しても、勝手に記憶は紐解かれ、僕の心をあの場所に戻そうとする。



振り払おうとしたが、眩しさに目を奪われ、向こうの信号が赤に変わってハッとした。





- - - 


僕の記憶の中でのあの子は、いつも周りに笑顔を向けていた。


耳の下で結んだ三つ編みは、走るたびに揺れて縄跳びの様。それを見た僕はゲラゲラと笑う。


「ヒロムくん、笑わないでよ!!」


そう言って叱られるけど、笑わずにはいられなくて.....。


共働きの親の帰りを待つ間、同じ団地に住む僕たち二人は、学校の校庭に行くとよくジャングルジムに登って遊んだ。


あの頃は何も考えず、親のいない寂しさを埋めるように遊んでいただけだった。


差し伸べられる手に、邪な感情があるだなんて知る由もなくて。


ただ、その手を取らなかった僕は、こうして生き延びている。


あの子は、その手の先に何を見たのだろうか。いとも簡単に手を引かれて、オレンジ色の光の中へと消えてしまった。


運動場に黒い影を落とすと、僕はただ大きな影と小さな影が見えなくなるのを眺めていただけ。


あれから一度もあの子の姿を見てはいない。


あの日の事は、一生忘れないだろう。


この命が尽きるまで、僕の脳裏にこびりつき、錆となって心と体を犯し続けられるとしても。


それ程の過ちを僕は犯してしまったのだから.......。






- - - 


「大丈夫ですか?!」


そんな声が聞こえてくると、僕はゆっくり目を開ける。


声のする方に顔をあげてみると、車の窓越しに何人かの人がこちらを心配そうにのぞき込んでいて、急に冷汗が出てきた。


慌てて窓を開けると「だ、いじょうぶ、です。すみません。」と声を出す。


「ちょっと車、端に寄せてもらっていいですか?」
誰かにそう言われ、「はい。」と答えるとエンジンをかけた。



バックミラーを覗けば、僕の後ろには何台もの車が繋がっていたようで、ものすごく迷惑をかけてしまったと思って焦る。ひょっとして、誰かの車にぶつかったんじゃないんだろうかと不安になった。


路肩に停めて、エンジンを止め一旦外に出ると、車の周りを確認する。
すると、さっきの人だかりの中のひとりが、僕の側へと歩み寄ってきた。



「あの.....、何処かに追突したんでしょうか。すみません感覚が無くて、当たったのも分からないんですけど。」


もしかすると、この人の車と当たってしまったのでは.....。
心配になった僕は、先に謝ってしまった。


「・・・・あ、・・・っと、大丈夫でした。っていうか、俺がうまく避けたから。」
そう言うと、少し表情がキツくなる。


「す、すみません。」


僕は、申し訳なくて謝るしかない。
もし事故になっていたら、謝るどころじゃない。今頃はこの人に大怪我を負わせていたかもしれない。
そう思ったら、下を向いてじっと身構えた。どんなに非難されても、自分が悪いんだから。


「はは、そんなに身構えないでください。ちょっと言い方がキツかったか。あなたもちゃんとブレーキ踏んだし、俺の車も俺自身も、何の痛手も負っていませんから。」


「は、い。・・・本当にすみませんでした。」


顔をあげて目の前の人を見ると、多分僕と同じぐらいの背恰好で、20代後半かな、と思った。
紺色のスーツを着ていて、短髪のヘアースタイルはちゃんと整えられている。
見たところどこかの営業マンか何かだろう、物怖じしない言い方が、僕には羨ましくもある。


「一応、連絡先教えてもらってもいいですか?後で何かあると嫌だし・・・。」
そういって、携帯を取り出すとメモを始めた。


「あ、はい。・・・僕の名前は津田大夢。ヒロムは、大きい夢と書きます。会社は、・・」
そこまで言うと、「会社はいい。電話番号だけで・・・。あ、自分の携帯ね、後で確認するから。」と言われ、教えた途端、僕の携帯に確認のコールをされて確かめられた。


「俺の名前は、神谷。神谷孝輔って言います。コウスケ。覚えましたか?」


「え、・・・はい。カミヤ コウスケさん。ちゃんと覚えました。」


だんだん気持ちが落ち込んでくる。


後で何かイチャモン付けられたらどうしようか.....。


目の前でにこやかに笑う神谷さんが、ちょっと恐ろしくもあった。